宝塚SP盤のレーベルについて

宝塚のSP盤は主にコロムビアレコード(日本蓄音機)から出されていますが、それ以外にも多く のレーベルから出されています。

ナショナル
白熊印

大阪蓄音器株式会社 1915年(大正4年)から自主録音を開始し、1917年(大正6年)東洋 蓄音器(オリエント)に併合されました。
1916年(大正5年)頃の宝塚の録音は大阪蓄音器で録音されたものが何枚かあるようで、それ らはそのままオリエントレーベルに引き継がれて出されているようです。

オリエント
ラクダ印(東洋蓄音器株式会社)
ラクダ印

明治40年京都に設立され当初は複写盤を製造し、大正元年から自主録音を開始しました。写真 は大正4年に初めて宝塚歌劇のレコードが発売された時期のレーベルで、大正5年3月まで使わ れた「東洋蓄音器株式会社」のものです。宝塚は大正3年夏季公演の「浦島太郎」から録音さ れています。ただし、初演と同時に録音されたとは考えにくく、大正4年になって録音され、同 11月に発売されたのではないかと思われます。

オリエント
ラクダ印(東洋蓄音器合資会社)
ラクダ印

「東洋蓄音器合資会社」のベージュレーベルです。大正5年3月以降のものと思われます。

オリエント
ラクダ印(赤)
ラクダ印

これは「東洋蓄音器合資会社」の赤地のレーベルです。

オリエント
ラクダ印(地球儀)
ラクダ印

ラクダが地球儀の上に乗っており、白熊印のナショナルのレコードにそっくりです。東洋蓄 音器合資会社が大正7年3月に大阪蓄音器株式会社と合併した後のものと思われます。レーベ ルには「東京蓄音器合資会社」とありますので、日本蓄音器商会に吸収合併された大正8年 12月までの製品です。「下界」は大阪蓄音器株式会社から引き継いだ原盤から製作されてい ると思われます。
大阪蓄音機から引き継いだ盤のレコード番号は、ナショナルのA407がオリエントではA2407に なっています。

オリエント
ラクダ印(地球儀)
ラクダ印

レーベルには「株式会社日本蓄音機商会製」と書かれており、大正8年12月日本蓄音機商会 に吸収合併された後のものと分かります。

オリエント
黄黒レーベル
オリエント

1919年(大正8年)12月に日本蓄音器商会に吸収合併された後のレーベルで、1929年 (昭和4年)3月まで使用されました。宝塚でこのレーベルは再プレスの物が殆どだと思われ ます。

オリエント
特赤レーベル
オリエント

1919年(大正8年)12月に日本蓄音器商会に吸収合併された後の高級レーベルで、1929年 (昭和4年)3月まで使用されました。宝塚では写真のモンパリ1927年(昭和2年)の他、 1928年(昭和3年)のイタリアーナに使われています。

ニットー
赤レーベル
ツバメ印

日東蓄音器 1920年(大正9年)に大阪市の住吉大社の近くで創業。機械式録音時代のレーベ ルで、色によって値段が違ったようです。1936年(昭和10年)に太平蓄音器吸収併合されま した。赤レーベルは1枚一円四十銭でした。宝塚では大正9〜10年の公演に使われました。

ニットー
黒レーベル
ツバメ印

これは黒レーベルで、主に器楽系の録音に用いられたようです。宝塚では大正11〜12年に使わ れました。

ニットー
特黒レーベル
ツバメ印

これは特黒レーベルです。黒レーベルは燕が青色だったのですが、これは線描のみです。線描 のみのレーベルは後期のものです。電気録音とは書かれていませんが、電気式録音の物も混在 しています。
宝塚では大正13年、昭和2年と昭和4年の公演の2枚だけ使われていて、電気式録音のようです。

ニットー
赤(電気録音)
ツバメ印

これは電気録音になってからのレーベルです。宝塚では昭和7〜8年の公演に使われています。

ニットー
青(電気録音)
ツバメ印

これは電気録音の再発売のレーベルで、宝塚で確認されているのは昭和8年の1公演のみです。

ニッポノホン
ニッポノホン

1910年(明治43年)日本蓄音器商会設立。上述の東洋蓄音器を始めとして多くの蓄音器会社 を吸収合併していった。宝塚では大正10〜11年に使われました。

コロムビア
黒レーベル
コロムビア黒

日本蓄音器商会が1928年(昭和3年)に英国コロムビアと提携して設立されました。 ELECTRICAL PROCESSと書かれている電気吹き込み盤です。宝塚では昭和4〜7年の公演に使わ れました。

コロムビア
黒レーベル
コロムビア黒

Viva-tonal Recordingと書かれている電気吹き込み盤です。宝塚では昭和8〜15年4月の 公演に使われました。

コロムビア
赤格子レーベル
コロムビア赤格子

昭和15年4月以降のレーベルで、宝塚では昭和15年4月〜昭和17年8月の公演に使われました。

コロムビア
ニッチクレーベル
ニッチク盤

昭和18年3月以降に発売された盤です。宝塚ではこの頃発売された新譜はなく、赤格子レーベル の再発盤です。

コロムビア
戦後標準レーベル(黒)
戦後コロムビア黒

戦後にレコードが再生産されてからのレーベルで、昭和23年ごろの物です。宝塚では昭和24年 4月発売のこれだけのようです。

コロムビア
戦後標準レーベル(赤茶)
戦後コロムビア赤茶

昭和24年後半以降のレーベルです。宝塚では昭和24年11月発売のこの盤から始まりました。

コロムビア
特殊デザインレーベル
写真レーベル

レーベルに写真が印刷されている特殊レーベルも多数存在します。同じレコードでも特殊デザ インレーベルと標準レーベルの両方がある盤もあります。

ポリドール
ポリドール

日本ポリドール 1930年(昭和5年)1月新譜より邦楽盤を発売開始しました。1944年 (昭和19年)にはレコード製造を中止しました。宝塚では昭和6〜9年に録音されています。 それ以前の公演もこの時期に再演に合わせて録音した公演もあります。

オデオン
オデオン

1930(昭和5)年3月より独逸オデオンレコード日本盤の販売を開始。 昭和7年にはレコードの 製造販売を停止した。宝塚では昭和6年1月のセニョリータの1公演のみの録音です。 なお、再発レコードは一部パーロフォンから発売されています。

ビクター
ビクター

1927年(昭和2年)9月13日 ビクター・トーキング・マシンの日本支社として日本 ビクター創立されました。宝塚では昭和3年と昭和14年前後にレコードを出しています。公演 の他に渡米記念アルバムが出ています。

ビクター
ビクター

1940年(昭和15年)4月からレコード番号の先頭がA-4000番から始まるようになり新しいレーベルに代わりました。 宝塚歌劇のレコードでこのレーベルで出されているのは宝塚映画のものだけです。

パーロホン
パーロホン

1929年(昭和4年) - 1933年(昭和8年)。宝塚では昭和8年に使われています。

東京レコード
東京レコード

1913年(大正2年)東京 日本橋に設立されました。1921年(大正10年)10月に日本蓄 音器商会の傘下となりますが、1925年(大正14年)同社と「スタンダード蓄音器」「帝国蓄 音器商会」「三光堂」の4社が合併し「合同蓄音器」を設立しました。宝塚では大正7〜8年 に酒井公聲堂が録音して東京レコードで委託プレスされて出された物があります。